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UFO in '70s

1970年代のUFOブームについて

ブーム直前 ― 1973年

2026年1月2日

※この記事は2008年2月にブログに上げた記事の書き直しです。

1976年10月に発行された雑誌『地球ロマン 復刊2号』に載せられた座談会「日本円盤運動の光と影」には、1973年前後の“円盤運動”の動きについての記述がある。ここではその内容を引用しつつ、当時の空気をたどってみたい。なお、未確認だが、以下の発言の団氏は、たぶん荒俣宏氏ではないだろうか。

地球ロマン
地球ロマン

団: ブームの火付け役は確かにマスコミだったけれど、やはりその前後の円盤研究家の動向にも注目する必要があるんじゃないかな。例えば GAP(※1) の久保田さんが、73年の8月に 『コズモ』(※2) を創刊している。これはまあ円盤研究家が、自ら一般向けの円盤雑誌をつくるという形で、社会の表面に出てきたわけだが、もっと目に見えないところでも、この73年というのは大事な年だったと思う。

というのは、73年、あるいはもう1年前の72年ごろから、円盤界の世代交代というか、若手研究家の動きが非常にアクチヴになってきている。まずイギリス宇宙旅行研究会日本支部が、72年4月に 宇宙研究協会CRC(※3) に改組され、11月には、清家新一氏が脱退し、完全に山本佳人氏を中心とした組織になる。

73年の1月には、並木伸一郎氏が、若手のアンチ・コンタクト派グループを糾合して、JSPS(※4) を組織している。ずっと休会中のJFSA(日本空飛ぶ円盤研究会)の荒井欣一さんを顧問に招いて、現在のところ、関西の高梨純一氏の MSFA(近代宇宙旅行協会)(※5) と共に、アンチ・コンタクト派の一大拠点のなっております。

中園: 関西の方では、浅井総一・守田健の両氏が活動しはじめる。浅井君は、 京大UFO超心理研究会(※6) を設立し、73年の10月にはCRCの関西プロジェクトのリーダー(※7)に迎えられている。これは実質的には独立王国で、 ヒマラヤ聖者の会(※8)をやっていた守田健氏といっしょに、尼崎で定期的な会合を開いていた。どういうわけか、関西の頑迷なアンチ・コンタクト派で、JSPSの大阪支部長の林一男も74年ごろには顔を見せるようになって、激論を闘わしていましたよ。

<『地球ロマン 復刊2号』P125~P126より引用。漢数字は算用数字に変更。脚注※数字は引用者で、この後のリストの番号に対応。>

この座談は1976年頃の発言をまとめたものなので、ここに紹介された話は、当時の「最近の動向」を振り返る内容でもある。その頃の僕は中学生で、そのような動向下で僕なりの情報収集をしていた。

以下に、上記の座談で触れられた団体と、その機関誌を、僕が収集してきた資料の写真とともに簡単に紹介する。文中に付した*番号は上記の記述と対応している。

1.日本GAP —『GAPニューズレター』

『新・UFO入門』(唐沢俊一著 幻冬舎新書)にもあるようにGAPはCBAから分かれた久保田八郎氏が1960年代に立ち上げた組織で、G・アダムスキーの「宇宙哲学」を研究する団体である。70年代も活発な活動は続いており、写真にあるような機関誌も地道に発行され続けいていた。内容としてはG・アダムスキーの弟子や密かにコンタクトを続けているらしい人たちの論文、またはその講演や取材の報告、内外のUFOの目撃報告、会員からの「実践」報告や哲学っぽい質問に久保田氏が答えるコーナーなど。

日本GAPの機関誌
日本GAPの機関誌

2 .コズモ出版社 — 『コズモ』

この雑誌が創刊されるという話を聞いたのは、あの頃UFOの話題をよく取り上げていたラジオ番組でだったと思う。発売日には何軒も本屋を回って探したのをおぼえている。創刊号はまずケネス・アーノルドに始まるUFO史の概観が紹介され、小松左京氏、横尾忠則氏らへのインタビュー、海外UFO目撃事件レポート、エーリッヒ・フォン・デニケンの「宇宙考古学」の連載など。デニケンを最初に日本に紹介したのはこの雑誌だったのかもしれない。

コズモ UFOと宇宙誌
コズモ UFOと宇宙誌

3.宇宙研究協会(CRC) — 『宇宙通信』

もともとは反重力宇宙機開発に成功したとしているイギリス宇宙旅行研究会の日本支部として、おそらく反重力の研究が主体だったと思うのだが、初期の機関誌からすでにアダムスキーの流れを汲む宇宙意識や哲学的内容にかなりの誌面を割いている。No.19で72年4月の会合で会称を宇宙研究協会に変更決定したと報告。同時に「これによって英宇宙研(J・サール氏)との従来の立場を明確にしただけの事で、本会の内容が今までのものと異なってくるというものではありません」としている。しかし、72年11月号のNo.26では反重力技術についての記事がなくなっており、その理由は翻訳者の都合や清家氏の多忙のためだとされているものの、このあたりが上記引用の経緯を表しているみたいだ。

CRC機関誌
CRC機関誌

4. 日本宇宙現象研究会(JSPS)—『未確認飛行物体』

機関誌はUFO目撃の詳細なデータがを含むレポートや、海外のレポートの翻訳記事、UFO写真の分析レポートなど極めてまじめな取り組みがうかがえる。また、この『未確認飛行物体』のほかに、1974年には『UFOマンスリー』という月刊パンフレットが発行されており、これは今は「と学会」で有名な志水一夫氏が編集をしている。1976年には多分速報誌的な性格付けの『UFO INFORMATION』という冊子を不定期に出している。多くのメンバーが共同で共通の姿勢をもって執筆を行っており、おそらくもっとも真摯にUFOの問題に取り組んだグループと言えると思う。

日本宇宙現象研究会の機関誌
日本宇宙現象研究会の機関誌

5.近代宇宙旅行協会(MSFA) —『空飛ぶ円盤研究』

近代宇宙旅行協会は1950年代中頃から活動している組織らしいので、僕の持っている70年代からの機関誌では推しはかるしかないのだが、執筆はほとんど高梨氏ひとりで行われているようにみえる。内容は海外のレポートを翻案したような感じのレポート(出典が明記されていないのが残念)や、日本でのUFO目撃をレポートしたもの。レポートは極めて辛口で、マスコミなどで取り上げられたUFO写真を”トリックである!”と一刀両断する高梨氏自身の論文が掲載されていたりする。60年代中頃に近代宇宙旅行協会の理事であった平田留三氏など数名が分裂して日本UFO研究会(JUFORA)を結成しているらしいことから、これ以降の活動が高梨氏個人のものになったのかもしれない。

近代宇宙旅行協会の機関誌
近代宇宙旅行協会の機関誌

6.京都大学UFO超心理研究会— 『宇宙波動』

こんなもの(失礼!)を蔵書している人がほかにもいるだろうか?僕は『宇宙波動』を第1号から十数冊蔵書している。これはその証拠写真でもある。京都大学UFO超心理研究会は浅井総一氏が京大在学中に設立。当初35名ほどの在校生で、毎週3回ゼミ形式の会合を行っていたようである。機関誌は手書きガリ版印刷(しかも多分、鉄筆でパラフィン紙に書く原始的な方式)である。表紙は青焼きコピーで、ホッチキスで大ざっぱに綴じてある。大学生らしい好奇心旺盛な内容である。UFOの目撃報告、推進力研究(理学部学生による?)、アダムスキー研究など。UFO以外にもESP実験、エドガー・ケイシー(予言者)研究や、日本のピラミッド探索、インド探訪、ナスカ探訪など多岐にわたる。11月祭(京大の文化祭)などには研究家や本物の超能力者を呼んで講演や公開実験を行っていた。

京都大学UFO超心理研究会の機関誌
京都大学UFO超心理研究会の機関誌

7. 宇宙研究協会大阪ブランチ—『CRCタイムス』

京大UFO超心理研を設立した浅井氏は、同時期に上記3の宇宙研究協会の大阪ブランチで、この冊子の編集担当をしている。この冊子も中心は宇宙哲学のようであるが、「バランス」をとるためか3号では清家新一氏による「宇宙開発の未来」と題される文章が掲載されている。一方、『宝瓶宮福音書』や『解脱の真理』といった霞ヶ関書房刊行の本の内容紹介記事などもあったりして、ヒマラヤ聖者研究会の色も含ませてることがわかり、このあたりの相関関係を示していておもしろい。

宇宙研究協会大阪ブランチの機関誌
宇宙研究協会大阪ブランチの機関誌

8.ヒマラヤ聖者研究会 —『聖者』

霞ヶ関書房刊行の『ヒマラヤ聖者の生活探求』をテキストに、「大師」らの教えを研究・実践するグループ。その機関誌を見ると第1号は『UFOグループ会報』となっている。この時点での活動目的はUFOの客観的考察、アダムスキー問題、宇宙人とのコンタクトを計画などとなっている。2号から会称を「ヒマラヤ聖者研究会」と改め、機関誌は『聖者』となった。名称変更の理由は「ヒマラヤ聖者と宇宙人の目的は同じで地球人類を援助することにある」からだと書かれている。その後『アクエリアス』という冊子を発行している。詳しいことはまた改めて書くつもりだが、もはやUFO、オカルト、アダムスキー哲学、チベット神秘主義などが混沌としてつかみどころがない。一方で、これは70年代後半から80年代にかけて起こるニューエイジ運動の先駆けであったとも言える。

ヒマラヤ聖者研究会の機関誌
ヒマラヤ聖者研究会の機関誌

『新・UFO入門』で唐沢氏は1950年代からのCBAや荒井氏の日本空飛ぶ円盤研究会などの動向、60年代のごたごたについて多くの紙面を割いて紹介している。それに対して70年代は新しい世代の「円盤運動」が展開されていったという『地球ロマン』での団氏や中園氏の指摘は正しいと思う。

僕はその辺りのことを、自分の資料の紹介という形で書いていこうと思っているわけだ。当然とうてい運動の全体像は示せないので、あくまで個人的体験としてのそれであることを断っておくが。

また、当時の当事者たちは知るよしもなく、その後この運動がニューエイジとかニューサイエンスへの流れへとつながっていくことになかったわけだが、ゆくゆく余力があればそのあたりも書こうと思う。多分、平河出版『The Meditation』や工作舎『遊』などについて取り上げることになるわけだが。