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UFO in '70s

1970年代のUFOブームについて

はじめに

2026年1月1日

以前から、1970年代に僕が強く惹かれていたUFOについて、その当時の体験や集めてきた資料を、きちんと整理してみたいと考えていた。この「UFO 70s」では、まさにそれを行なっていく。

直接のきっかけとなったのは、最近刊行された『新・UFO入門』(唐沢俊一著、幻冬舎新書)という一冊だった。その中で唐沢氏は、次のように述べている。

「UFOの真実は、UFOにはない。そのUFOを目撃し、あるいはアブダクションやインプラント(機械類の埋め込み)をされた、人々の中にあるのである」(同書 P179)

「新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか」唐沢俊一
「新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか」唐沢俊一

僕自身は、UFOをはっきりと目撃した経験はない。それでも、なぜか強くUFOに引きつけられていた。

当時テレビで放送されていたUFO特集番組は欠かさず見ていたし、関連書籍や雑誌を読み漁り、講演会や研究会の集まりにも足を運んだ。
だが、今になって振り返ると、果たして自分は本当に「UFOの真実」を求めていたのだろうか、と疑問に思う。

唐沢氏が「UFOの真実はUFOにはない」と言うのと同じように、UFOに引きつけられた理由もまた、UFOそのものの真実を追い求めていたからではなかったように思える。
そう、UFOはやはり、僕自身の中で何か別のものの象徴として存在していたのだったに違いない。

その象徴の中身を自分なりに分析してみると、少なくとも次の二つがあったのではないかと思う。

1)「私を見つめる存在」としてのUFO

孤独な人間にとって、UFOは一種の「天使」のような存在である――僕はそう思う。
孤独や悲しみを抱えた人間にとって、UFOは癒しの存在、天使的なものになり得る。

では、どこが天使的なのか。
それは、UFOが僕たち人類を「見つめている」存在だと感じられる点にある。しかも、それは人類全体というより、むしろ個人に向けられている感覚だ。

想像してみてほしい。
夜空に、輝く光が静かに浮遊しているのを、あなたが目撃したとする。
いや、光でなくてもいい。昼間の空に浮かぶ無骨な金属製の円盤型物体でも構わない。

あなたはそれを「見る」。
しかし同時に、その物体から「見られている」と感じるのではないだろうか。

その物体には目玉もなく、こちらを覗き込むような潜望鏡があるわけでもない。
それでも、言葉もなく宙に浮かんでいるというだけで、まるでこちらをじっと見つめているように感じられる。

少なくとも、僕の無意識はそう感じるだろうと思う。
UFOは「私を見つめる存在」として、象徴的に立ち現れる。

昔の時代であれば、それは神とまではいかなくとも、天使――日本で言えば観音――と呼ばれていたかもしれない。
それは、もの言わず、静かに「私」を見つめる存在であり、孤独な人間にとっての癒しなのである。

2)理解されない自己の投影としてのUFO

これは、僕のように現実逃避しがちな人間にありがちな傾向なのかもしれないが、僕には「自分は誤解されている」と思いたがるところがあった。
誰も自分を理解してくれない、という感覚は、そのまま、UFOという存在が世間から誤解され、疑いの目で見られていることへの共感として表れていたように思う。

UFOを否定する人たちは、隠された「真実」を知らずに短絡的に否定している――
そんな考え方は、「本当の自分」を理解されず、他人から見下されている自分自身の姿と、無意識のうちに重ね合わされていた。

しかし実際には、それは「本当は高尚な自分が存在する」かのように主張したい願望の表れにすぎなかった。
UFOが実在しないのと同様に、そのような「自分」もまた、現実には存在しない妄想だったのだ。

それは劣等感の裏返しであり、単なる願望にすぎない。
もっと言えば、無意識のレベルでは、両方とも存在しないことを、自分自身は本当は気づいていたのかもしれない。
だからこそ、その弁護はいつも曖昧で、ときに大きく破綻してしまうのだろう。

以上は、UFOに興味を持ってきた一人の人間としての、いわば自己分析のようなものである。
ただし、このブログで心理学的な問題を深く追究していくつもりはない。

要するに、僕は唐沢氏の提言――「UFOの真実は人の側にある」という考え方――に沿って、UFOについて考えようとしているのである。
そのために、最初に書いた通り、あの時代におけるUFOをめぐる雑多な事柄を、僕なりに整理し、まとめていこうとしている。

たとえば、『新・UFO入門』の中で唐沢氏が触れている雑誌『地球ロマン』(1976年10月1日発行・復刊2号/第1巻第4号/総特集=天空人嗜好)は、僕にとっても愛蔵書の一つだ。
誌中のCBAに関する記事は、唐沢氏が書いている通り非常に興味深い。

しかし、それ以上に僕が強く惹かれたのは、「日本円盤運動の光と影」と題された座談会記事である。
座談形式であるがゆえに、当時の運動の状況や空気感が、生々しい臨場感をもって語られており、実におもしろい。

次回からは、そうしたあたりの話題を、少しずつ書いていこうと思う。