不識、喫茶去
日本画と文化について
特別展「琳派 - 俵屋宗達から田中一光へ」山種美術館
※この記事は2018年9月にブログに上げた記事の書き直しです。

山種美術館の特別展「琳派 - 俵屋宗達から田中一光へ」(2018年7月)へ行きました。リーフレットには「近代·現代の日本画家やデザイナーに受け継がれた琳派の伝統をたどる特別展」と説明があります。
特別展「琳派 - 俵屋宗達から田中一光へ」リーフレットもっとも、このリーフレットにある田中一光の作品は、宗達の「平家納経」の部分的な素材をデザインの中で単に拝借してきているだけで、もっと根本的な琳派の要素である画面構成や手法に影響を受けるというような位置づけではないように思えますので、この作品をあえてとりあえるべきなのかと最初は感じましました。
しかし、「琳派 - 俵屋宗達から田中一光へ」の図録の論文を読むと、多分、この作品のことより、田中一光の琳派や宗達に関する言説に注目すべきということなのだなとわかります。
特別展「琳派 - 俵屋宗達から田中一光へ」図録冒頭の山下裕二氏の論文では、田中一光の琳派への想いを綴った文章が引用されています。そして山下氏は琳派はデザインというキーワードで語れるということを紹介しています。
その上で、興味深いのは、この図録の巻末あたりで引用されている田中一光の文章(朝日百科「宗達とデザイン」からの引用)です。
しかし最近になって、宗達という人の作品を改めて眺め直すと、当然とはいえ、デザインという一面ではとらえがたい、厚い壁にぶつかるのである。拡大された琳派という概念ならばともかく、宗達の場合は、どの時代のどの画家よりも、日本美術の本質にかかわる問題をもっとも濃厚にもっているように思われてくるのである。(「琳派 - 俵屋宗達から田中一光へ」図録80ページの中の引用より)
宗達を元とする琳派を現代デザインの原型としてみるという視点がある一方で、宗達自身の作品からはデザイン以上の深い何かを見るべきだと田中一光氏が言っているということがわかります。

たとえば、リーフレットの下に掲載されている「槙楓図」などは、明らかに写実ではない「意図された構成」が見て取れます。それは端的には「デザイン的である」ということであり、一方、その意図された構成とは、緑の槙の枝の後ろにわずかに見え隠れする赤い楓を配置し、楓の枝が左へわずかに流れ出てそこには空いた空間が配されている、というもので、そこには何か日本独特の感性があるように思われてきます。
この特別展ではそのようなことに気づかされました。
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